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商品やサービス、団体やプロジェクトなどにつける名前は、基本的にその中身を端的に、かつ分かりやすくしておくのが基本と言えるでしょう。
たとえば研磨スポンジのヒット商品に「激落ちくん」というのがありますが、
スポンジ→とてもよく汚れが落ちる→激落ちくん というのは連想として十分成り立つと思います。 別の例では、自転車に取り付けるダイナモの要らない「マジ軽ライト」なんていうのもありました。 これはペダルを踏む力に負担をかけないのが特長なので、 とても軽くペダルを漕げるライト→マジで軽いライト→マジ軽ライト とやっぱりしっくり来ます。しかも「magical」という気の利いたシャレまで入ってます(笑) しかし、社会には内容をゴマカしたいのか、あるいはいつの間にか想定とは違う中身になってしまったのか、実態とは全く違う名前が付いていたり、酷い場合は真逆ともいえるような関係だったりする事があります。 最たるものの一つが、「年金100年安心プラン」 内容としては年金制度を破綻させずに100年後も安心して受給できるようにする計画、というようなプランのようですが、少子化が凄い勢いで進んでいる日本では残念ながら納めるときに負担する金額が増えて、もらえる金額は少なくなるということになるわけです 負担が増える→もらえるお金が減る→100年安心 ・・・???サッパリ分かりません。 少なくとも「年金制度維持プラン」とか「年金破綻防止計画」というような内容の方が中身に相応しいのではないかと思うのです。 一説には、 「100年後には現世代の人たちはみんな死んでいるから、あの世で安心」 なんていう説もありますが、それならそれで「墓場で安心プラン」とか「あの世で安心プラン」に変えるべきでしょう(笑) もう一つ、ツッコミを入れたくなったのが、「派遣村」 主に「派遣切り」などで職を失った労働者を救済するための活動というのが主旨のようですが、 失業者が増えた→みんな公園に集まれ→派遣村 ここで問題なのが、そもそもあの「村」に集まっている人たちが派遣労働者であった証拠が全く無いということ。 身分を全く確認せずに、ただ集まった人たちに公園で寝る場所と食事を提供しているのであれば、それは「自由参加キャンプ村」か「ホームレス村」という名前の方が相応しいでしょう。 やっぱり何かに名前を付けるのであれば「名は体を表す」という理念に則ってネーミングを考えて欲しいものです。 by 『労働基準法違反を許すな!労働者』 テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済 |
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以前の雑記『派遣は企業の負担を増加させる?』 でも書きましたが、現在の派遣労働の仕組みでは派遣会社が取るマージンに制限が無いため、
・企業にとっては人件費の負担が大きい ・労働者にとっては受け取れる報酬が少ない というデメリットがあると思います。 何と言っても企業から支払われる人件費の70%以上が中間マージンとして取られている場合もあるのですから、これでは派遣会社以外にメリットなどあろうはずがありません。 そこで、極論ながら提案です。 この際、派遣という仕組みそのものを廃止するというのはどうでしょうか? 報酬を受け取るのは、それに見合う労働力や価値を提供した人であるべき、という事は世の中のほとんどの人が納得することでしょう。 それを基準に考えると、たとえば派遣先に勤める時のあっせんだけを行った派遣会社が永続的にマージンを取りつづけるのは明らかにおかしな話です。 (現在の派遣法にも「直接雇用の申し入れ義務」というのはありますが、これは全くと言っていいほど機能していませんから、無視して考えましょう) だから、企業の雇用形態は「正社員」「契約社員」「パート・アルバイト」だけにして、間に入る会社には就職の斡旋のみを一定の規制(あっせん報酬に給料の月額を基準とした制限を設けるなど)に基づいて許可するのです。 さらに、企業に対しては契約社員の賃金を正社員の賃金×一定の倍率以上にするよう義務付けます。 現在の派遣労働でも企業は派遣会社に対してかなりの人件費を支払っていますから、これが大きな負担になる事はないでしょう。 そうすれば少なくとも、正社員でない労働者も「突然契約を打ち切られるかもしれない」というリスクに見合った報酬を受け取りやすくなるはずです。 たとえば月額の給料が正社員より10万円くらい高かったとしたら、その分を貯金して失業期間に備えたり、スキルアップのための投資に使うこともできるわけです。 結果として「派遣会社」というビジネススタイルは消えていくことになるわけですが、それでいいのです。 そもそも人材を登録して派遣するだけで利益を得つづけるという仕組みは、洗練された経済社会には不要の存在なのですから・・・ 注)今回の雑記はあくまでも「極論」です。実際には派遣社員の教育や労働環境の維持に力を注いでいる立派な派遣会社もあると思いますので、管理人の戯言だと思って話半分程度にお読みください。 by 『労働基準法違反を許すな!労働者』 テーマ:労働基準法と職場環境 - ジャンル:就職・お仕事 |
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会社に何年も勤めていると、色々なタイプの上司・管理職を見ることになると思います。
部下やチームを管理する方法にしても、自分が率先して仕事をこなすことで他のメンバーを動かそうとする人もいれば、チームのメンバーが働きやすいような環境を整えるこことに力を注ぐことで成果をあげようとする人もいるでしょう。 中にはロクに仕事も出来ないくせに年功序列やコネで管理職になる人も少しは(沢山?)いるかもしれませんが、それはもちろん論外として・・・ 私が長いサラリーマン人生の中で「仕事が出来る人間を管理職に据える」という考え方は、基本的には間違いなのではないかと考えるようになりました。 なぜなら、マネージャーやリーダーとして人を管理するには、コミュニケーション能力が何よりも必要不可欠で、これを持っていないと他の部分がどんなに優秀でも管理職としては全く能力を発揮できないからです。 世の中には色々なタイプの人がいますから、個人プレーなら得意だけどチームプレイが苦手な人もいれば、その逆の人もいます。 例えばその人自身は「天才」と呼ばれているような科学者がいたとしても、もしその人が気難しくて他人への配慮が全然できなければ、「教育者」としては不適格と言わざるを得ません。 逆に数学の能力はソコソコでも、コミュニケーション能力が優れていれば、優れた論文書いたりはできないかもしれませんが、教育者としては存在価値が高いということになります。 部下やチームを持たない平社員のうちは、どうしても個人的な能力・成績を中心に評価・査定が行なわれるのは仕方ないことでしょう。 しかしその人自身が優秀だからといって、必ずしも優秀なマネージャーやリーダーになれるとは限らないのですから、そのあたりに関しては個人としての能力と管理者としての能力を切り分けて考えなくてはいけないと思うのです。 個人プレイだけが得意な人をマネージャーやリーダーにしても、会社・部下・本人の全てが不幸になるだけですからね。 by 『労働基準法違反を許すな!労働者』 |
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職場で起こる大きなトラブルの一つに、セクシャルハラスメント、いわゆるセクハラというものがあります。
何がセクハラにあたるのかということについてはケースバイケースなので一概には言えませんが、仕事上の判断に「性差」に関することを持ち込むと、些細なことでもセクハラになってしまう可能性があるのが怖いところ。 まあ、差別意識や被害者意識というのは、気にしていない人から見れば些細なことから大きな問題に発展していくこともあるので、言葉の問題に関しても少し敏感になっておくくらいが丁度良いのかもしれません。 ただ、それにしても解せないのは、性差に関して少しでも触れると、プラスの意味でもセクハラと判断される場合があるということです。 例えば、「女性らしい細やかな気配りできる」 なんていう言い方も今は性差別=セクハラとされてしまうのは、個人的にはどう考えてもおかしいと思います。 なぜなら、男性と女性では本来体の構造からして違うからです。 脳の構造も違えば、考え方のクセ、身体能力の全てに男性と女性では違いがあります。これはどちらかが優れていてどちらかが劣っているというような話ではなく、「ただタイプに違いがある」ということです。 例えば全体の傾向として見れば筋力に関しては明らかに男性の方が女性よりも勝っていますし、言語能力や相手の気持ちを態度から察する能力などについては、統計的に女性のほうがずっと上であると言われています。 もちろん人によってもその個人差は大きく、女性でも男性よりも腕力のある人もいれば、男性でも女性よりも言葉を操るのが上手な人もいますから、「もっと男らしくしろ」とか「女性は女性らしく」という個性を否定する発言はセクハラになるのは当然です。 しかし、「女性らしい細やかな気配りができる」と言っただけでセクハラになるのであれば、「この荷物は重いから力のある男性社員に・・・」という発言もセクハラと判断されなければいけないでしょう。 性差に触れてはいけないというのなら、「男気がある」もセクハラ、「深夜の女性の一人歩きは危険」というのもセクハラです。 本来はプラスの意味を持つ言葉を嫌味や皮肉として使えばそれは確かにセクハラになるかもしれませんが、実際に性差というものが存在するにも関わらず、そこから目を逸らすようなやり方は、男性にとっても女性にとっても不都合を生むことになるのではないでしょうか? セクシャルハラスメントを含む性差別は無くすべきだとは思いますが、攻撃対象が本当に「嫌がらせ」になるものなのか、それとも受け取る側のアレルギー的反応によって問題になっているだけのものなのかという判断は、冷静に行なう必要があると思うのです。 by 『労働基準法違反を許すな!労働者』 |
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会社に勤めていると、新年会や忘年会、送別会や歓迎会など、数ヶ月に一度くらいは飲み会に誘われる事があるのではないかと思います。
飲み会の席というのは、ある意味ではとても貴重なコミュニケーションの場です。 普段仕事をしながらでは話せないようなプライベートな話をして人間関係を築いたり、普段はあまり接点が無い人と親しくなる機会があったりもするでしょう。 しかし私は、普段から「忙しい」とボヤいている割には飲み会の出席率だけやたらと高い人に対してはちょっと違和感を感じるのです。 いつも帰りが遅くて家族とのコミュニケーションが取れない。食生活も不規則で夜遅くに帰宅してそのまま寝るだけ。日々の仕事に追われてじっくり計画を立てるひまも無くて、「緊急性は低いけれど将来のためには重要なこと」なんて何にも手を付けていない・・・ それなのに、飲み会には毎回参加して何時間もダラダラと駄弁ってる。 そりゃあ「飲み会が何よりも楽しい」という人だっているでしょうし、上にも書いたように飲み会には良い所だってある。でも、そのために他の全てを犠牲にして何時間も費やすのが正しいとは、私にはとても思えないのです。 お金に困っている人が少し臨時収入が入ったからといって何も考えずにそれを使い果たしていたら、いつまで経っても生活は変わりません。 貴重なお金ならそれをどう使えば将来に役立つのか?何に投資すればさらに多くのお金を手に入れることができるのか?ということを考えるのが大切なはずです。 これは時間に関しても同じ事が言えるのではないかと、私は思うわけです。 もちろん「全ての飲み会を断るべき」なんて言うつもりは毛頭ありませんが、「勉強するヒマなんて無い」「運動するヒマが無い」「睡眠時間が取れない」なんて口グセのように言っているのにしょっちゅう飲み会に行っているような人は、やっぱり時間の使い方を見直してみる必要があるのではないでしょうか? by 『労働基準法違反を許すな!労働者』 |






