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小さな仕事と大きな仕事
社会に出て働き始めると、まず最初に任されるのは比較的小さな仕事だと思います。

営業系なら接客やアポ取りにチラシ配り、製造業ならラインでの流れ作業や備品管理、その他職種を問わず発生するのが備品の買出しや掃除、お茶汲み、ゴミ出しなどの仕事です。

そういった小さな仕事を通して、新米社会人は社会と会社のルールを学んでいくわけです。

これに対して、会社の経営方針を決めたり、人員配置を管理したり社員の教育を行うのは、どちらかというと大きな仕事と言えるでしょう。
大きな仕事を行うのは先輩社員や管理職など、経験豊富な社員であることがほとんどです。

そしてよく言われるのが、
「小さな仕事も一生懸命やることが大切」
「地味な仕事を軽く見てはいけない」

という言葉。



これについてはまさにその通りだと思います。

小さな仕事で十分な経験を積んでいない人に、人の管理など出来るわけがありません。
ましてや小さな仕事をキッチりこなせいないような人は、他の仕事やってもダメでしょう。

しかしその一方で小さな仕事、とくに雑用と言われる掃除やお茶汲み、お弁当の買出し、ゴミ捨てのような仕事だけをずっとやっているのも、それはそれで本人や会社のためにはならないと思うのです。

(誤解の無いように言っておきますが、これはあくまでもその仕事が会社にとって「雑用」である場合の話です。掃除やお茶汲みを提供することを本業にしている会社や専門家の話ではありません。)

その理由の一つ目は、雑用をこなしている間は、その他の仕事の能力がほとんどアップしないこと。

例えば、自分の務めている会社の掃除やゴミ捨てを毎日きっちりやっていても、それだけで優秀な技術者や営業マンになれたり、マネジメント能力が身についたりはしないということです。

もしも任された仕事ならちゃんとやり遂げることは大切ですが、あまりに雑用に時間を取られていては売上に貢献するような他の仕事のノウハウを学ぶ時間が削られてしまいます。

そしてもう一つは、雑用は仕事としての単価が非常に安いということです。

会社員なら命令された雑用をやっていたからといって給料が安くなることはありません。
しかし会社にとっては、高い給料を支払っている社員がアルバイトにも任せられるようなゴミ捨てしていたら、それだけ人件費を無駄にすることになります。



突き詰めて考えれば仕事に優劣は無いと思いますし、いわゆる小さな仕事も大切なのは間違いありません。

でも、地位の固定化が起こっていて小さな仕事しか回ってこないような環境なら、それはそれで問題と言えるのではないでしょうか。

by 『労働基準法違反を許すな!労働者』
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テーマ:働くということ - ジャンル:就職・お仕事

【2010/05/30 17:59】 | 職場環境 | page top↑
こんな時代だから
先日、ある友人と話している時に、
「こんな時代だから」
っていう言葉がずっと使われている気がするよね、という話になりました。

思えば日本はバブル経済が崩壊した1990年代以降、例えばIT業界にだけ到来したITバブルのような一部の現象を除いては、ずっと景気の悪い状態が続いています。

バブル以降の時期を「失われた10年」なんて表現する言葉もあるくらいですから、一時の好景気と比較すると経済的には苦しい時代と言えるんでしょう。



ただ、これだけ長く「こんな時代だから」「こんなご時勢だから」「厳しい時代だから」と言われる状態が続いていると言うことは、もはやこれは当たり前の事なんじゃないかとも思うわけです。

つまり今は「緊急時」などではなく「平常時」なのではないか、と。

緊急時というのは、普段はNGな手段が許されたり、完全に許されなくても情状酌量の余地が出てくることがよくあります。

どこかで窃盗事件があったとして、遊ぶ金欲しさに盗みを働いたのと、飢えた家族に何かを食べさせようと盗みを働いたのでは、恐らく裁かれた時の刑の重さは変わってくるでしょう。

サービス残業や人員整理日ても、大恐慌などで会社がバタバタ潰れている時なら、一時しのぎとして同情の余地があるかもしれません。

しかし、今が平常時だとすると、今あるルールはごく当たり前のもので、この先もずっと続くものと考えるべきです。ダメなものはダメと判断する平常時のルールを適用しなくてはいけません。

大局を見れば、日本は景気が悪いとはいっても、世界的に見ればまだまだ裕福です。

それでも今後、発展途上の国がどんどん力をつけてくれば、それらの国に市場を奪われ、さらに日本の経済状態が悪くなる可能性も十分にあるでしょう。

そう考えると、もはや「こんな時代だから」などと行っている今は、もしかしたら「まだこの時代なら」なのかも知れません。



一時の嵐が過ぎ去るのを待つように「こんな時代だから」「こんなご時世だから」というのはいい加減に止めて、できれば「今だからこそ」、それが無理でも「こんな時代だけど」くらいを合言葉に頑張っていこうではありませんか(笑)


by 『労働基準法違反を許すな!労働者』

テーマ:働くということ - ジャンル:就職・お仕事

【2010/05/13 22:53】 | 未分類 | page top↑
国家の運営と会社の運営
日本の憲法では日本は民主主義、つまり国の主権は国民にあるということになっています。

一部の権力者に支配されているという感も無くはないですが、一応は選挙という仕組みによってその権力者も、国民が選べるという仕組みです。

決断はリーダーが下すものの、そのリーダーは皆で選ぶ
だから国民の意見が国の舵取りに反映されるわけです。

これに対して、昔は多くの国が絶対王政か、それに近い方式で運営されていました。
王様やお殿様の言う事は絶対で、歯向かえば投獄されたり殺されたりしますので、国民はただ従うのみ。



リーダーは前のリーダーの親族や、支配階級の間の権力闘争から生まれるので、武力によって革命でも起こさない限り、国民の意見はほとんど政治に影響されません。

そして、どちらの制度がより優れているかと言えば、恐らくそれは歴史が証明している通りでしょう。
先進国では(仮に王様がいたとしても)実質的には国民が政治に参加する権利が認められています。

命令が完全に上から下(いわゆるトップダウン)で流れる場合、決断や行動は速くできますが、暴君が誕生した場合に国民が地獄を見ることになります。

仮に良い王様が国を収めたとしても、その息子が同じように名君であるとは限らないので、極めて不安定な国になってしまいます。

何よりも「何でも命令できる」という土壌は、権力者の身勝手を増長させることは間違いありません。

しかし、会社というものは、その多くが王制に近い制度で運営されています。

部下は上司を選ぶことはおろか評価することさえも許されず、ただ命令に従うのみ。
提案や企画、意見を上げることは出来ますが、一歩間違えば絶対権力によってクビを切られる可能性もあります。

そして、権力を持つ人間を選ぶのは、さらに上にいる権力者。
部下の信頼を全く得られなくても、上司に有能だと思わせさえすれば出世することが可能です。



セクハラやパワハラを無くし、労働者が今よりも幸せに生きていくためには、まずはこのトップダウンの絶対王政を何とかする必要があるでしょう。

具体的には、部下が上司を評価する制度を積極的に取り入れるなどして、会社はもう少し民主的になる必要があるのではないでしょうか。


by 『労働基準法違反を許すな!労働者』

テーマ:労働基準法と職場環境 - ジャンル:就職・お仕事

【2010/05/01 12:21】 | 未分類 | page top↑
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